2020.7.31

生徒は宝物!私が大学で”ピアノ指導者”になるまで

生徒は宝物!私が大学で”ピアノ指導者”になるまで
梶木良子
茨城県出身。都立芸術高等学校音楽科卒業。桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻卒業。洗足学園音楽大学大学院音楽研究科修了。
ヤングアーティストピアノコンクール最優秀賞及び金賞受賞など多数受賞。
現在は、洗足学園音楽大学ピアノコース准教授としてピアノを教える他、演奏活動(ソロ、デュオ)、
学内生徒伴奏、合唱団伴奏ピアニストとしても活躍している。

音大生が自身のキャリアを考えるために、音大生自身が音大卒業後のキャリアについてインタビュー。今回のゲストは洗足学園音楽大学でピアノ指導者として活躍、学生から絶大な人気を得ている梶木さん。音大に入ったきっかけから大学の先生になるまでの経緯までじっくり聞かせていただきました。

 

 

ピアノ漬けだった

幼少時代を経て音高〜音大へ

 

 

―はじめに、梶木さんと音楽との出会いを教えてください。

 

小さい頃はアイドルになることを夢見ていました。そんなある日、ヤマハ音楽教室に連れて行かれてピアノを始めることになって、いつの間にか親にレールを敷かれてピアノ中心の生活を送るようになっていました。

近所でも「ピアノ少女」と見られていて、遠足や修学旅行といった学校行事は何とか参加できましたが、その他の遊びは全部禁止でひたすらピアノを練習するような、少し悲しい小中学生時代を過ごしました。この頃は音楽が好きという感覚はあまりありませんでした。

 

―音楽に前向きに取り組むようになったのはいつ頃からですか?

 

高校生の頃からです。高校は音楽高校に通ったんですが、そこでようやく音楽の楽しさに目覚め、将来は音楽大学に進みたいと考えるようになりました。高校でピアノ以外の音楽、例えばミュージカルなどに触れたことで音楽の世界の広さを知り、それが音楽の楽しさに目覚めた転換点になりました。

音大に進みたいと思ったのは、とにかく上手くなりたいという気持ちからでした。頭の片隅には伴奏などを通じてピアノ以外の世界にも携われたらという想いもありました。

ただ、音大に入った時点では明確な将来像などは持っていなくて、ピアノが上手くなればピアノの先生になれるだろう、と楽観的に考えていました。

 

―音大生時代の特に印象的だったエピソードを教えてください。

 

刺激の多い毎日でした。自分が一番上手いと思っていたピアノ教室から飛び出して、プロ意識を持って音楽を極めようとする人たちが集まる環境に身を置いたことで、自分の人生の目標が高まったのが最大の収穫です。

また、音大だと世界的に有名な一流の先生に出演いただく演奏会とかも結構ありますよね。その中の1つで、自分がCDで演奏を聴いていた憧れのピアニストを音大に招いてのコンサートがあり、そのゲネプロ見学が一番印象深い出来事でした。

世界的な一流の音楽家は緊張なんてしないだろうと思っていたら、ゲネプロの時に「私、緊張して手が震えてるのよ」なんて言うんです。それを聞いて、人間みんな一緒なんだな、と安心しました。

 

 

大学卒業後に、努力が実を結んだ

 

 

―プロフィールを拝見すると、梶木さんは色々とピアノで賞も取られていますよね。やはり音大生時代はコンクール目指してバリバリ頑張っていたのですか?

 

プロフィールに載っている賞はほとんど音大卒業後に取ったものなんです。

夢見心地で音楽大学に入ったものの、大学生の4年間の間では大きなコンクールで賞を取るという目標は全然達成できなかった。悔しい気持ちでいっぱいの暗黒の4年間でした。

その悔しさが原動力になって、大学卒業後は大学院に進学して勉強を続けて、大学院を卒業してから社会人として仕事をしながらコンクールに挑戦したりして、そうしているうちに徐々に賞という結果がついてきたんです。大学4年間でコツコツやってきたことが、その後の勉強を経てようやく花開いたといった感覚でした。

そんな自分の経験もあって、今も学生達によく言ってるんですが「音大を卒業しただけじゃもったいない」という気持ちが強いです。大学4年間のうちにやらなきゃだめと思わずに、卒業後の時間も大切にして欲しいですね。